南仙台駅の想い出

中田地区町内会連合会長 
中田地区社会福祉協議会長

渡辺文吉

陸前中田駅(南仙台駅の前身)開設以前は国道にバスもないので、南は増田駅(名取駅の前身)まで4粁の道を歩かなければならなかった。
しかも、西側には100年以上も経過したかと思う松の大木が生え、前田の町まで人家も稀で全く淋しかった。ことに前田の町から米川(中田支所の南の川)まで程んど人家がなく、松の大木丈あり、今の自動車学校の南方にあった便所からときどき追はぎが出てくると云う恐ろしい状態であった。北の方は4粁余の長町駅、これ又バスもないので甚だ不便であった。
関係地区住民の多年の要望が、代議士故菅原伝氏により国の認めるところとなり、駅開設に決定した。関係住民は歓喜そのものであった。夜ともなれば町の人達は毎晩のように建築中の停車場を見に行き、一日も完成の早からんことをどれだけ願ったことか。
大正13年9月10日、待望の陸前中田駅が誕生した。利用圏内の中田、高舘両村民の喜びは想像に余りあるものであった。
その後、駅の前方および南方地域が市街地として発展をして駅前がつくられた。駅前地域の開発功労者故武田さんに、負うところが極めて大きい。
先般、南仙台駅鉄道退職者中田・高舘両地区の各種団体長ならびに有力者が集まって50周年を迎えたので、過去を追憶し感謝の気持ちで式典を挙行すべきではないかと話が出来相談した結果、式典を欣然一致で開催することの決定を見、その後数回に亘る会合の後、式典を挙行したのであった。
皆様より応分な多額の御寄附をいただきまた各位から充分なる御協力を賜わり、しかも来賓多数の御臨席の下に式典を盛大に挙行された事は誠に感激の極みであった。厚く御礼を申し上げます。
私事で恐縮ではありますが、不肖私も長い間、陸前中田駅から多年通勤し、今は年金生活者になっておる。
過ぎたる過去を追懐し、ひたすら南仙台駅よ幸あれと祈るのみである。

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