おらが駅前通り

駅前住民

菅井恒治

1.ミニ情報
陸前中田駅開設の年は、小生師範卒業後6年、中田校訓導3年目で25才の生真面目な青年であったが、開通を心から喜んだ一人である。当日と前日は高等科生徒をつれ構内清掃と式典場の準備を奉仕したが、当日の行事は全く頭にのこっていないのがさびしく感じられる。
当日の新聞で中田村の発展を祝し、駅開設の主唱者としての若き村会議員加藤金之助を称賛している。彼加藤金之助には有力な指導者として、仙台保線区長の久芳準平氏があり、その情報連絡者としての菅井きんがいた。
久芳準平氏は、東大工科出身で清水小路の鉄道官舎に居住した国鉄内での有力者であった。菅井きんは、金之助の姉で小生の母である。当時小生達は、東三番丁河北新報の東向いの広い屋敷に住んでいた。母は久芳氏と親交があり、家族が時折り訪れると“空気が甘い”と喜ばれ、節々の野菜畑を楽しまれた。この広場で金之助氏は久芳氏に二度面会し、色々と啓蒙されたのである。以後も種々と母きんを通して御指導を頂き、久芳氏の転勤近いある日金之助と村長菅井繁守氏が官舎を訪問し感謝申し上げている。
2.おらが駅前通り
小生が昭和8年駅前通りに居を構えた頃は、南側に鈴木今朝吉、川村タクシー・相原農機具店、飲食店たらふく、松山菓子店・日本通運中田支店と、北側に高橋呉服店・菅井恒治、渡辺源十郎宅が点在して・周囲には田圃でホタルが飛び、小川には小魚の姿が見られ、清流は日常生活にかかせない貴重な水資源であうたのである。
現在南側に、鈴木俊一郎、川村タイヤ店、渡辺豆腐店、相原竹二郎、山下公敬、トラヤ、佐竹店、松山幸之丞、北側には今長食堂、柳屋旅館、高橋青果店、相沢商店、菅井美容院、渡辺充崇等が定着している。周辺もすっかり住宅化し面目を一新している。
駅前住民の願望であった側溝も、昭和23年渡辺秀雄氏が仙台市総務局長就任の記念に県直営工事として完成し、更に翌年は渡辺文兵衛氏が仙台市会議員初当選記念に市費450万円で舗装工事が見事に完了した。これと前後して周辺の舗装も護岸工事も水道施設と消火栓、貯水槽の設置も立派に完成した。
3.一日駅長
私は13才から久芳氏を知り、母と叔父の伝達役を果たしこの地で40年も“おらが駅前通り”と守り育てて来た縁故から、開設50周年記念“一日駅長”を拝命し誠に光栄でした。正服姿でホームに立ち、列車の安全を祈り職員各位の苦労に接しては自然と頭が下り、又無事故の表彰状を仰いではその強い責任感に打たれるなど万感こもごも尽きる所を知らなかった。今、構内に立って開設に励んだ各位と努力して下さった方々及び50年間守り育てて来られた先輩各位そして又、当駅に就職した鉄道職員各位に万腔の感謝を捧げ、記念植樹の成長と共に我等の駅の将来への発展を祈念してやみません。

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