構内タクシーの実現など

第15代駅長

豊島源蔵

42年2月、高城町から着任して驚いたことは、列車回数が200本以上もあり列車監視のため事務室に入る暇がない。これは大変と関係箇所に事情を話し、下り列車も上りホームで監視してよいことになり、やれやれと思っているうち45年10月、いわゆる43.10白紙ダイヤ改正で一挙に300本になるので、助役さんを3人増員毎日2人で列車扱いをすることになったこれがきっかけとなり、現在の列車重点監視方式がとり入れられることになったわけです。
夏になってまたびっくり、ウジ虫が待合室まで進入、チャッカリ腰掛で休んでいるではないか。それから局に陳情「また便所ですか」といわれる程になり、やっと改善してもらった。冬は誠によく、宿舎で朝顔を洗うのに湯はいらない。水道を3分流しておけばゆげが立つ程になり、しかも水質検査はいつも満点合格の井戸水である。この良質の水でも駅前飲料水としては許可にならず困っていたところ、幸か不幸か市の水道が入ることになり、駅前水飲場とお別れすることになったのは誠に残念でした。
列車扱いをしていると夜毎きれいな娘さんがあられもない姿で一目さんに町の方へかけてゆくのが目につく。不思議に思って職員に聞いてみると、袋原に住宅が多くなりそこからの通勤者は夜遅くなると交通の、便がなく、途中物騒なので1台しかない宮城タクシーへ先をあらそって行くことを聞き、構内タクシーの必要を痛感、幸いバイパスに南仙台タクシーが開業したので、木村社長さんにお願いして構内営業の申請をしてもらった。ところが局では、設立間もない会社は認可できないというのを、無理矢理請願をかけ、やっと認可をもらい常時6台の駐車として始めて南仙台駅に構内タクシーが誕生し、駅(駅とは旅客が乗り継ぎするところ)の定義にかなった駅になったと、自分で自慢したことなどが思い出されます。

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